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ニキビがではじめた思春期

小学校の5年生の頃、額にポツポツと赤いニキビができ始めました。
母と近所の薬局に行くと何故か保湿クリームを勧められました。

当時は分からなかったのですが、脂肌のニキビだったので、今思えばもちろん治るはずもなく中学生になると顔全体にできるようになりました。
思春期にニキビ肌というコンプレックスを抱え、人の目が気になるようになってしまいました。
前髪で額のニキビを隠し、下を向いて歩く毎日です。
しかし、やはり年頃ですから「オシャレ」や「キレイになりたい」気持ちも強く、その頃からニキビ用のお化粧水を付けては学校へ行っていました。
高校に入ってから、一時皮膚科にも通いましたが枯れてはまた出来の繰り返しで、本当にできなくなったのは大人になってからです。
長い間ずっとニキビで悩んでいました。
さらに、高校生の時から生理不順があり何ヶ月も生理がきませんでした。
手の平に水泡ができたり、また体のあちこちに円形の皮膚炎ができたりしていました。
また、生活は夜型で、眠りは浅く、やっと寝れても目が覚めてしまい昼間はかなり眠かったです。
その頃から頭痛や便秘を繰り返して、市販の薬を買っては飲んでいました。
その頃は他の女の子よりもぽっちゃりで体は重く感じていました。
しかし、相談する人もいなければ、どんどん自分の体が悪い方に向かっていることにも気づかず「こんなものだろう」と思って過ごしていました。
今思えば、アレルギー体質で体が弱かった上、不健康な生活が拍車をかけたのだと思います。
化粧品店に就職してから私の母はとてもオシャレが好きな人で、私もその影響を受け、人並み以上に「綺麗になりたい」という思いが強くなり20歳の頃からよく西区の化粧品店に通っていました。
色とりどりのシャドーやチークがディスプレイされた店内は、とてもワクワクしました。
お化粧品を買い、美容部員さんからはニキビの正しいスキンケアとメイクの仕方を教わりました。
”ファンデーションを塗れば、赤ら顔とニキビが隠せる”ことを知って「私でもキレイになれるんだ~」と感激したのを覚えています。
とても気持ちが明るくなりました。
それまではニキビ肌に下手なメイクをして出かけていました。
こういうことは誰も教えてくれなかったから、気付けなかったのです。

ある日のこと、化粧品店のオーナーから電話をいただきました。
「従業員の子が結婚するから、夜、人が足りないの。バイトに来ない?」という話でした。
短大を卒業してからYMCAに通っていましたが面白くなくほぼ昼間は市内のカフェでバイトをしていました。
元々美容は関心があったので、カフェのバイトの後、掛け持ちすることになりました。
引っ込み思案だった私ですが、少しカフェでの接客業で人に慣れていたことが良い経験になっていました。
化粧品店の初出勤の日、私は早速驚きました。
なぜなら「お客様に顔のマッサージをして」とオーナーに言われたからです。
自分の顔もろくにマッサージなんてしたことないのにです。
お客様も顔を貸して下さり、オーナーの見よう見まねでやってみます。
力加減、呼吸、タオルの温度と拭き取り方、その全てが上手く行えないと気持ち良くないのです。
とにかく毎日毎日練習しました。
お顔の形も年齢も肉付きも違います。
悩みだって違うのですから、皆さんを同じように満足させられるかと言ったら「絶対」とは言い切れません。
しかし上手になって喜んでいただきたいという一心で、ポイントを外さないよう心を込めてマッサージをさせていただいていると少しずつお客様から、
「丁寧で気持ちいいよ」「上手になったね」と褒めていただけるようになりました。
ちゃんと伝わるんだという喜びと、技術と感覚は回数重ねることが大切だということを学びました。
自分の肌はといえば、相変わらずのニキビ肌でした。
なぜニキビ肌の私をバイトに雇ってくださったのか、分からないのですが、「とにかくニキビを治そうと」と言われ、高級化粧品でのお手入れが始まりました。
ニキビも肌タイプによってお手入れが変わることを知り、自宅ケアでニキビはキレイになっていきました。
その後、、バイトから従業員にしていただきました。
大手化粧品会社の取扱店でしたので、化粧会社で月1回のセミナーの参加、スキンケア・ヘアケア・ヘルスケア・フレグランスについて学ぶ機会がありました。
それは今の仕事に繋がる原点となっています。
私が勤めていたお店は路面の面した小さい個人店でした。
しかし、ある化粧品ブランドの売上は全国1位を数年キープしていたのです。
その分オーナーはとても厳しく、
売上を落とさないために、手段を選ばず!?あの手この手と販売していました。
「お店に入って来る人は、どんな人でもお客様よ」と言われ、新聞の集金の人でさえ座らせて接客することもありました。
オーナーはいわゆる仕事人間でワンマンな方でした。
例えば、美容部員さんや従業員が体調を崩し、休みの電話をすると「病院行ったあと出ておいで」という無茶なことを要求したりすることもしばしば。
またお客様には押し売り的なやり方をしたり、「持って帰ってていいよ」と少し強引に掛売で売ったりもされていました。
私にも同じような販売の仕方を指示されることもあり、そのやり方に少しずつ疑問を持ち始めていましたが、化粧品は好きだったので我慢していました。
3年目になると、私も色んな仕事を任せられるようになりました。
自分のお客様も増え、可愛がって頂けるようになりました。
近所の内科の受け付けのお姉さんが仕事の休み時間になると寄ってくださったり、OLさんがメイクを教えて欲しいと言ってくださったり、とても有意義な時間でした。
その頃から一人で外売に行くようになりました。
外販では、大きなスポーツバック2個を持って卸業者・幼稚園・お寺・養護施設へ出向き、数人にマッサージ、メイク、集金、販売をします。
店頭に帰ってからは注文いただいた商品と手紙を添えて荷造りをしなければなりません。
荷造りくらい他の人に任せても良かったのでしょうが、接客した私しか分からないこともあり、責任感から手を抜くことは絶対に嫌で、結局最後まで自分でしていました。
かなり大変でしたが、行く先々で良くしていただき、とても有難かったです。
マッサージができるのは従業員では私だけでしたから忙しくなると次第にお昼の休憩がなかなかもらえなくなってきました。
やっと取れた休憩が夕方で、帰宅1時間前なんてことさえありました。
オーナーの厳しい性格を知っている美容部員さんから
「よくこの店で続くね、今までの従業員さんはすぐ辞めていったよ。もう、何処に行っても耐えられるね」
と、言われてました。
当時、他のお店を知らない私はこれが当たり前だと思ってました。
そして引っ込み思案で何もできなかった自分が実は粘り強い性格だと気付いたのです。
実際帰りが遅くなったり辛いことは沢山ありましたが、「人をきれいにして喜んでいただけること」はとてもやり甲斐があり、仕事は大好きでした。
慕ってくださるお客様もいたことも励みに頑張っていました。
しかし、5 年目とうとう体調を崩してしまいました。
ちょうどその頃、お付き合いしていた1つ年下の彼と結婚していました。
結婚したことで出勤時間を早くしてもらったのですが、退社時刻になっても直ぐに帰宅できないこともあったのです。
環境の変化と忙しさから一時は善くなっていた頭痛に加え、動悸、息切れ、寒気、怠惰感があり終いにはアトピーになってしまいました。
お顔は普段からお手入れをしていたので、アトピーは出ませんでしたが、首から下は全身アトピーになりました。
お客様をマッサージすることもできなくなり、メイクを担当すれば「うつらないの?」と言われてしまいました。
手の甲が爬虫類のようにシワシワでひび割れていたので無理もありません。
そこでお客様から聞いた山口県の皮膚科に行ってみました。
不規則な食事や仕事のストレスとアレルギー疾患と診断され、薬は自分で煮出す漢方薬でした。
この漢方薬が合わず、胃が痛くなり続けられませんでした。
何度か通いましたが、お医者さんの息子さんもアトピーが治ってないと先生本人から聞き治してくれる病院はないと落胆しました。
肌は乾燥して痛いですし、とうとうペンが握れないほど指の関節からパックリ割れてしまいました。
そして腕は熱を帯びパンパンに腫れていました。
食事は綿の手袋の上にビニールの手袋を重ねて作っていましたが、一番酷い時は、実家に帰り食べさせてもらっていました。
オーナーにはその都度病状を伝えました。
しかし、どんな時も仕事を廻すことが優先なので、親身に取り合ってくれませんでした。

次第に、パソコン業務、DMを書いたりと日常の簡単な仕事さえ出来なくなりました。
「本当に治るのか」と自分が情けなくなり、どんどん酷くなっていくことに不安で仕方ありませんでした。
また人の目が気になることもストレスでした。
2月に入り首も腫れ、皮膚がただれて、外に出ると冷たい風が滲みるほどでした。
流石に仕事を続けることは限界でした。
「しばらく休みたい」と、会社に申し出ましたが、「セミナーには行って!そんなに酷いならアベンヌ温泉でも行けば」と言われたのです。
アベンヌ温泉とは、フランスの皮膚に良いとされる温泉で、その温泉水は商品化されています。
辛い状態の中、嫌味とも取れるオーナーの言葉に傷つきその場で仕事を辞めることを決めました。