オーナー紹介

野間 いずみ

みなさま はじめまして。
ナチュラルセラピー Drop の野間 いずみです。

私がなぜ美容の仕事に就き、自宅サロンを開業することになったのかを生い立ちからお話ししようと思います。

少しでも私を知っていただくことでより美容と健康に関心をもって頂けたらと思っています。

< 開業にいたるまでの経緯 >
  • 生い立ちから幼少期

    私は昭和48年広島で生まれました。
    家族は両親と6つ上の兄の4人家族です。生まれつき病弱というほどではないのでしょうが、生まれてすぐの検診では「心臓に穴が空いている」と言われ、母は目が腫れるほど泣いたそうです。こういうことは割りとよくあるらしく、成長とともに塞がるのを待ち1年後心臓の穴は塞がったということです。
    2歳の時、家族で京都へ旅行に行きました。もちろん記憶はないのですが、立ち寄ったテーマパークで兄と一緒にトランポリンで飛び跳ねて遊んでいました。その時、初めて喘息の発作が起きてしまいました。その後、幾度も点滴をしてもらいに日赤病院に行ったり、夜中母におぶられて近所の内科の先生に診てもらったりしたのを覚えています。性格はとても大人しく、人一倍恥ずかしがり屋で、幼稚園の写真ではいつも先生の隣でちょこんと写ってるような子で目立たないタイプでした。「いつも箒をもって履いていたよね」と大人になって幼稚園の先生に再会したとき言われました。
    元気良く飛び回るより、一人で黙々と掃除していたそうです。この頃はまだ引っ込み思案で自分に自信のない女の子でした。小学校に上がっても度々喘息で休むことがあり、病院でお薬を吸入してもらいに行っていました。

  • 【ニキビができはじめた思春期】

    小学校の5年生の頃、額にポツポツと赤いニキビができ始めました。
    母と近所の薬局に行くと何故か保湿クリームを勧められました。

    当時は分からなかったのですが、脂肌のニキビだったので、今思えばもちろん治るはずもなく中学生になると顔全体にできるようになりました。思春期にニキビ肌というコンプレックスを抱え、人の目が気になるようになってしまいました。前髪で額のニキビを隠し、下を向いて歩く毎日です。
    しかし、やはり年頃ですから「オシャレ」や「キレイになりたい」気持ちも強く、その頃からニキビ用のお化粧水を付けては学校へ行っていました。高校に入ってから、一時皮膚科にも通いましたが枯れてはまた出来の繰り返しで、本当にできなくなったのは大人になってからです。長い間ずっとニキビで悩んでいました。さらに、高校生の時から生理不順があり何ヶ月も生理がきませんでした。手の平に水泡ができたり、また体のあちこちに円形の皮膚炎ができたりしていました。また、生活は夜型で、眠りは浅く、やっと寝れても目が覚めてしまい昼間はかなり眠かったです。その頃から頭痛や便秘を繰り返して、市販の薬を買っては飲んでいました。
    その頃は他の女の子よりもぽっちゃりで体は重く感じていました。しかし、相談する人もいなければ、どんどん自分の体が悪い方に向かっていることにも気づかず「こんなものだろう」と思って過ごしていました。今思えば、アレルギー体質で体が弱かった上、不健康な生活が拍車をかけたのだと思います。
    化粧品店に就職してから私の母はとてもオシャレが好きな人で、私もその影響を受け、人並み以上に「綺麗になりたい」という思いが強くなり20歳の頃からよく西区の化粧品店に通っていました。色とりどりのシャドーやチークがディスプレイされた店内は、とてもワクワクしました。お化粧品を買い、美容部員さんからはニキビの正しいスキンケアとメイクの仕方を教わりました。
    ”ファンデーションを塗れば、赤ら顔とニキビが隠せる”ことを知って「私でもキレイになれるんだ~」と感激したのを覚えています。とても気持ちが明るくなりました。それまではニキビ肌に下手なメイクをして出かけていました。こういうことは誰も教えてくれなかったから、気付けなかったのです。

    ある日のこと、化粧品店のオーナーから電話をいただきました。「従業員の子が結婚するから、夜、人が足りないの。バイトに来ない?」という話でした。短大を卒業してからYMCAに通っていましたが面白くなくほぼ昼間は市内のカフェでバイトをしていました。元々美容は関心があったので、カフェのバイトの後、掛け持ちすることになりました。引っ込み思案だった私ですが、少しカフェでの接客業で人に慣れていたことが良い経験になっていました。
    化粧品店の初出勤の日、私は早速驚きました。なぜなら「お客様に顔のマッサージをして」とオーナーに言われたからです。自分の顔もろくにマッサージなんてしたことないのにです。お客様も顔を貸して下さり、オーナーの見よう見まねでやってみます。力加減、呼吸、タオルの温度と拭き取り方、その全てが上手く行えないと気持ち良くないのです。とにかく毎日毎日練習しました。お顔の形も年齢も肉付きも違います。悩みだって違うのですから、皆さんを同じように満足させられるかと言ったら「絶対」とは言い切れません。
    しかし上手になって喜んでいただきたいという一心で、ポイントを外さないよう心を込めてマッサージをさせていただいていると少しずつお客様から、「丁寧で気持ちいいよ」「上手になったね」と褒めていただけるようになりました。ちゃんと伝わるんだという喜びと、技術と感覚は回数重ねることが大切だということを学びました。自分の肌はといえば、相変わらずのニキビ肌でした。なぜニキビ肌の私をバイトに雇ってくださったのか、分からないのですが、「とにかくニキビを治そうと」と言われ、高級化粧品でのお手入れが始まりました。ニキビも肌タイプによってお手入れが変わることを知り、自宅ケアでニキビはキレイになっていきました。
    その後、、バイトから従業員にしていただきました。大手化粧品会社の取扱店でしたので、化粧会社で月1回のセミナーの参加、スキンケア・ヘアケア・ヘルスケア・フレグランスについて学ぶ機会がありました。それは今の仕事に繋がる原点となっています。私が勤めていたお店は路面の面した小さい個人店でした。しかし、ある化粧品ブランドの売上は全国1位を数年キープしていたのです。その分オーナーはとても厳しく、売上を落とさないために、手段を選ばず!?あの手この手と販売していました。「お店に入って来る人は、どんな人でもお客様よ」と言われ、新聞の集金の人でさえ座らせて接客することもありました。オーナーはいわゆる仕事人間でワンマンな方でした。
    例えば、美容部員さんや従業員が体調を崩し、休みの電話をすると「病院行ったあと出ておいで」という無茶なことを要求したりすることもしばしば。またお客様には押し売り的なやり方をしたり、「持って帰ってていいよ」と少し強引に掛売で売ったりもされていました。私にも同じような販売の仕方を指示されることもあり、そのやり方に少しずつ疑問を持ち始めていましたが、化粧品は好きだったので我慢していました。3年目になると、私も色んな仕事を任せられるようになりました。自分のお客様も増え、可愛がって頂けるようになりました。近所の内科の受け付けのお姉さんが仕事の休み時間になると寄ってくださったり、OLさんがメイクを教えて欲しいと言ってくださったり、とても有意義な時間でした。その頃から一人で外売に行くようになりました。
    外販では、大きなスポーツバック2個を持って卸業者・幼稚園・お寺・養護施設へ出向き、数人にマッサージ、メイク、集金、販売をします。店頭に帰ってからは注文いただいた商品と手紙を添えて荷造りをしなければなりません。荷造りくらい他の人に任せても良かったのでしょうが、接客した私しか分からないこともあり、責任感から手を抜くことは絶対に嫌で、結局最後まで自分でしていました。かなり大変でしたが、行く先々で良くしていただき、とても有難かったです。マッサージができるのは従業員では私だけでしたから忙しくなると次第にお昼の休憩がなかなかもらえなくなってきました。やっと取れた休憩が夕方で、帰宅1時間前なんてことさえありました。オーナーの厳しい性格を知っている美容部員さんから「よくこの店で続くね、今までの従業員さんはすぐ辞めていったよ。もう、何処に行っても耐えられるね」と、言われてました。
    当時、他のお店を知らない私はこれが当たり前だと思ってました。そして引っ込み思案で何もできなかった自分が実は粘り強い性格だと気付いたのです。実際帰りが遅くなったり辛いことは沢山ありましたが、「人をきれいにして喜んでいただけること」はとてもやり甲斐があり、仕事は大好きでした。慕ってくださるお客様もいたことも励みに頑張っていました。
    しかし、5 年目とうとう体調を崩してしまいました。ちょうどその頃、お付き合いしていた1つ年下の彼と結婚していました。結婚したことで出勤時間を早くしてもらったのですが、退社時刻になっても直ぐに帰宅できないこともあったのです。環境の変化と忙しさから一時は善くなっていた頭痛に加え、動悸、息切れ、寒気、怠惰感があり終いにはアトピーになってしまいました。お顔は普段からお手入れをしていたので、アトピーは出ませんでしたが、首から下は全身アトピーになりました。お客様をマッサージすることもできなくなり、メイクを担当すれば「うつらないの?」と言われてしまいました。手の甲が爬虫類のようにシワシワでひび割れていたので無理もありません。そこでお客様から聞いた山口県の皮膚科に行ってみました。
    不規則な食事や仕事のストレスとアレルギー疾患と診断され、薬は自分で煮出す漢方薬でした。この漢方薬が合わず、胃が痛くなり続けられませんでした。何度か通いましたが、お医者さんの息子さんもアトピーが治ってないと先生本人から聞き治してくれる病院はないと落胆しました。肌は乾燥して痛いですし、とうとうペンが握れないほど指の関節からパックリ割れてしまいました。そして腕は熱を帯びパンパンに腫れていました。食事は綿の手袋の上にビニールの手袋を重ねて作っていましたが、一番酷い時は、実家に帰り食べさせてもらっていました。オーナーにはその都度病状を伝えました。しかし、どんな時も仕事を廻すことが優先なので、親身に取り合ってくれませんでした。

    次第に、パソコン業務、DMを書いたりと日常の簡単な仕事さえ出来なくなりました。「本当に治るのか」と自分が情けなくなり、どんどん酷くなっていくことに不安で仕方ありませんでした。また人の目が気になることもストレスでした。2月に入り首も腫れ、皮膚がただれて、外に出ると冷たい風が滲みるほどでした。流石に仕事を続けることは限界でした。「しばらく休みたい」と、会社に申し出ましたが、「セミナーには行って!そんなに酷いならアベンヌ温泉でも行けば」と言われたのです。アベンヌ温泉とは、フランスの皮膚に良いとされる温泉で、その温泉水は商品化されています。

  • 冷えとり生活とアトピーの改善

    私がどのようにアトピーを治したかお話しします。
    きっかけは、生理不順を治すための足湯でした。26歳の夏、結婚してからも生理はとびとびでした。母が知人から「体を温めることで生理不順が良くなるらしい」と聞いて、松のエキス入りの入浴剤で足湯をすることを勧めてくれました。なぜなら、冷えが体の不調を招き、アレルギー症状や病院へ行くほどではない未病を引き起こしているからということでした。今でこそ、温活がブームになり「体を温めることが美容と健康にとって大切」だということが当たり前になっていますが、15年前はまだ、一般的に認知度は低かったと思います。
    私も初めて知ったことでした。
    冷え切った体には、足湯はとても気持ちがいいものです。体温36.5度を保つことは、健康のバロメーターです。36.5度以下になると免疫力が下がり、代謝が落ち始めます。頭痛などの小さい症状だけではありません。癌細胞は冷えた体が好きというくらい、癌患者には低体温の人が多いのです。当時私の平熱は 35度台でした。そう考えると体調が悪いのも頷けます。
    とにかく出来るときは足湯をし、お風呂で体をゆっくり温めました。夏でも汗をかけないほど体の芯が冷えていました。それから2ヶ月ほどで数ヶ月無かった生理が来たのです。歩くのも辛かった生理痛は全くなく、血液の色が今まで見たこともないほど綺麗な色で驚きました。ただ、体を温めただけなのにです。
    また、いつも足がパンパンになるくらいむくみがあったので、仕事から帰ると足湯を20分、寒くなればまた20分、寝るまえに20分と繰り返しするのが日課になりました。それなのに、突如、アトピーになったのです。母の知人によると、体を温めたことによる好転反応のようなものという説明でした。

  • お風呂にはミクロの泡で体の毒素を出す

    ジェットバスを付け気泡風呂に入ることにしました。体の毒素はブクブクと「あく」のようなものが出てきます。夜も朝もお風呂に入り、お風呂から出ると乾燥して爛れた皮膚に、自然からできた保湿クリームを体中に塗ります。食事の栄養バランスにも気を配り、体が冷える食事をさけました。仕事を辞めてからは、お昼もひたすら足湯をしていました。皮膚がボロボロになると、心まで沈み自分だけ取り残されていくようでした。気分転換に外出したくても、人目が気になりできませんでした。しかし、6 月になる頃には全部毒素が出たのか、あんなに酷かったアトピーもすっかりキレイになりました。約半年間でしたが、冷えの恐さを知った半年間でした。

  • 離婚と仕事への思い

    アトピーが改善され、新たな職を探すことになりました。以前、勤めていた化粧品店が取り扱っていた化粧品会社の面接を受け、無事美容部員として働くことが出来ました。元気になって外に出られること、大好きな仕事でお客様に接客できることはとても幸せでした。

    しかし、美容部員の仕事は、従業員の時とは勝手が違いました。
    私の仕事は、一週間の間に2.3件のお店に行かせていただき、マッサージ・メイク・販売をします。それは、個々のお店のオーナーのやり方に合わせなくてはならず、自分が「これをお客様にしてあげたい」と思っていても出来ないこともあります。お勧めしたい物があっても、お店的には別の物を売って欲しいということもあるのです。従業員の時、自分の思い通りにメイクやアドバイスをさせてもらってバリバリと仕事していたので、物足りなさを感じてしまいました。しかし、オーナーさんはいい方ばかりでしたから、その環境の中でも自分の求められていることをさせていただきました。
    その 2 年後、出産と離婚を経験しました。
    離婚して働かなくてはいけませんが、子供がまだ小さいうちは、子育てもしっかりとやりたいという葛藤の気持ちがありました。そこで、時間に融通がきくパートになりました。産後、新しく入店したお店には、もう何年もそこのお店を担当している先輩の美容部員さんがいました。その先輩は売り出しの日になると、お得意さんには現品見本をあげてでも、化粧品を買ってもらうのです。売上の数字が大事なのも分かりますが、現品見本は他のお客様に、店頭で試していただくものです。そういう先輩の「数字を取る」「物を売る」だけの接客に疑問を抱きました。
    私は「お客様が化粧品を買うとき、人と人の間に化粧品があること」という思いで仕事をしてきました。この言葉は支社長が言われた言葉なのですが、今でも販売する時に「物の売るだけ」にないよう心に留めています。好きな仕事ではありましたが「商品を売る」ということ以外に、何か他にできないかという思いが芽生え始めました。ボディマッサージなど、目には見えないけど人を癒すことに興味がありました。そこで、以前から気になっていたアロマを学ぼうと決めたのです。
    しかし、昼間は仕事、夜は子供も小さかったので仕事が終わってから学校に通うことは不可能でした。

    お金は掛かりましたが、通信教育でアロマコーディネーターの資格を取ることにしました。通信教育では、実際にボディマッサージを実践できません。結局1年後、休みの日はリンパマッサージを習いに行くことにしました。母子家庭で金銭的に辛い中、無理をして資格を取ったのはいいけど「今後どうしたらいいのだろう」と不安がありました。
    しかし次第に今の仕事を辞めて、資格が活かせるよう自分でやっていこうと考え始めました。しかし、直ぐにお店を出すには経験が少な過ぎます。
    エステサロンに転職し、友人の化粧品店も手伝いながら自宅サロンを出す準備を始めました。エステサロンでは、私が一番年上でありながら入社の順ということで一番下っ端扱いでした。年下の先輩スタッフの中での仕事は難しく、かなり気を遣いました。まだ、20代前半の女の子たちはお客様がいらしても関係なく大きな声で話し、お肌についてもとても知識が乏しく、驚きました。さらに、ニキビで悩むお客様が来られた時、一人のスタッフが「あんなにニキビあったら気持ち悪い」と言ったのです。
    エステティシャンとしての発言として、とても恥ずかしく思いました。こういう環境に身を置くことは試練、反面教師だと思い我慢して働きました。

  • 30代の体の変化と紫外線アレルギーの再発

    妊娠3ヶ月目くらいでしょうか。徐々に主人と上手くいかなくなり、出産して間もなく離婚することになりました。育児はとても楽しいものでしたが、シングルになり働かなくてはならず1年後仕事復帰することにしました。ちょうど 30 歳になる年でした。
    職場のストレスと、年齢的な体の変化からかまた体が辛くなることが増え始めました。忙しくなり、以前に比べゆっくり体を休めることができずにいました。熱が続き、数日寝込んだり咳が止まらなくなって息が苦しくなったりと免疫力が明らかに落ちていました。

    救急で病院に行っても、「どこかが特別悪い訳じゃない」と治療らしい治療は何もしてもらえませんでした。大変なことにならないといいけど、と思っていた矢先腕や、足の甲が炎症を起こし火照り、赤く腫れてしまったのです。
    原因は紫外線でした。元々あった日光過敏症が免疫力が落ちてしまったことで酷くなってしまったのです。痛痒く熱を持つので、寝ていても熟睡もできないほどです。とにかく鎮静させるため、資格で取ったクレイセラピーを活かしクレイを何度も肌に塗布して、どうにか薬を使わず治しました。この辛さはなった人にしか分からないと思いますが、3 月から 11 月くらいまで紫外線の恐怖にさらされるのです。
    良く晴れた日の 10 分の立ち話、アウトドアや、真夏の旅行はもってのほか、お花見もここ数年は夜桜ばかりです。熱い夏でも、日焼け止めを塗ったうえに長袖、長ズボン、首にはストール、足の甲は腫れ上がるので素足でサンダルは履けません。最近では UV カットの商品も以前に比べオシャレなものも増えてはきましたが、やはり暑い中全身覆うのは煩わしくもあります。そんな姿を見た友人に「マイケル・ジャクソンか!」と突っ込まれたくらいです。

  • サロンオープンと想い

    サロンをオープンする前のこと、友人に「夏だからといって冷たいものばかり飲んでいると体が冷えて疲れやすくなるよ」と話しをしました。でも、比較的元気でこれと言った不調を感じていない友人には、なかなか響きません。私がどのような体質で、どれほどアトピーで苦しんだかを話したことが無かったからだと思いますが、あまり真剣には聞いてはもらえませんでした。もしかすると、おせっかいに感じたかもしれません。
    また「体が弱い」というと、病弱さ売りにしているように取られるのか、鼻で笑われることもありました。しかし体調が悪い時、無理をすれば自分が辛いうえ、誰も変わりなどしてはくれないのです。キャンプや旅行など誘われることもありましたが、特に紫外線が強い時期は、友人に迷惑を掛けると嫌なので断るしかありません。「みんなが楽しめる事が自分には出来ない」「どうして私だけ」「もっと健康に産んで欲しかった」と嘆いたこともあります。
    しかし、体質も血流を善くしたり、生活習慣で変わることができるのです。このような辛い経験を沢山してきましたが、全て今の美容の仕事の糧となっています。幼い頃から体の不調を抱えていた私だから分かることがあります。今健康な人でも不摂生な生活をしていると、とんでもないことになるかもしれません。それを見過ごせないのです。
    また、肌が敏感でニキビやアトピーで悩んできましたが、もう綺麗にならないと諦めている人に、お肌に安全な自然派のお化粧品なら肌が変わることも伝えたいと思っています。私ほど、いくつものアレルギーを抱えているのも珍しいかもしれません。しかし、身を持って克服してきた自信があります。あなたは健康で、毎日快適なコンディションだと言えますか?病院に行くほどでないけれど、誰に相談したらいいのか分からないと思っていませんか?また、自分の体の悪さに気付いていないこともあるかもしれません。

    ですから、私がサロンという場所で、セラピストという立場から何かしら悩んでいる方に私の経験と知識、技術を提供する必要を感じています。人はどんなに気を付けていても、病気になる生き物です。リンパケアをしたからといって、病気にならないとも限りません。
    しかし、予防医学として日頃から血流を善くすることが美容と健康には大切なのです。また、眠れない人やイライラしやすいなど心が不安定になっている方にも同じ境遇になった私だからアドバイスできます。自律神経を整える耳つぼは、痩せることだけでなく心と体の健康に密接に関係があり、私自身むくみ改善をしダイエットに成功しました。現在、20 代の時よりも元気です。
    「エステの仕事は大変そうだから、この先不安はないですか」と聞かれたことがあります。今なら「大丈夫です」と答られます。そして、以前は体が辛く何も出来ないと嘆いていましたが、健康を手に入れることで気持ちが前向きになり、新しい事にチャレンジしようと思えるようになるのです。私がサロンオープンにチャレンジしたことが、何より証拠です。
    大好きな美容の仕事を今でもできる事に感謝しています。人生、やりたい事が出来ないなんて勿体ないと思いませんか?血流を善くすることでこの先も「若々しくキレイでいたい」「健康で過ごしたい」「痩せて新しいことにチャレンジしたい」という考えに共感いただけたら嬉しく思います。

サロン情報

店舗風景
店名 ナチュラルセラピーDrop
代表 野間 泉
所在地
〒731-5114
広島県広島市 佐伯区美鈴が丘西1丁目5-8
TEL 090-1335-7730
※お客様専用番号となりますので、
営業・セールスなどのお電話はお控えください。
営業時間 10:00~19:00 ※時間外はご相談ください
定休日 日曜・祝日
お支払い方法 各種カード・PayPay
こだわり条件 【個室あり】【女性スタッフ】【無料P有り】
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